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Robust pilots. The critical mission. 強靭なパイロット、失敗できない作戦。 [pilot]

おそらくこのブログを読んでいる人の中に、3/11以降の自衛隊と米軍パイロット達の活躍を知らない人はいないでしょう。救助、救援ももちろんですが、ヘリからの放水。安定傾向が確保できつつある今も一種の極限状態におかれ、困難な対応が続く事故現場である福島第一原子力発電所上空を、今にもどうにかなってしまうのではないかと、怪しかった、あのタイミングで飛んだパイロット達は本当にすごいと思う。

飛ぶ者であれば誰でも必ず考えている事があるはずです。昔にも書いたかもしれません。信じられないかもしれませんが、それは不時着場所です。例えば、我々が普段利用するような定期便のパイロットも、離陸直後、上昇中、巡航中、降下中、着陸前、それぞれの不時着場所の事を考えているはずです。一方、低いところを飛ぶ小型機は、不具合があってエンジンが止まったとしても、そこからの到達範囲が狭いので、常に周辺の広い場所を意識せざるをえませんし、最初から計画に入れて経路や高度を細かく決めたりします。

では、あのミッションは? あれほどの低空をゆっくり飛んでいました。トラブルが起これば原子炉のすぐそばに不時着しなくてはならないほどの高度です。放水時に横風をあてにして、直上ではなく斜め上から狙ったのかどうかはわかりませんが、通過しながら放水した映像からみて、真上とみても差支えない程度のオフセットしかなかったでしょう。最悪の中の最悪の場合は原子炉に誤って落ちてしまうかもしれない。それよりマシだとしても付帯設備に墜落してしまうリスクさえあったはず。もちろん不時着可能場所については、もっとも被害を小さく出来そうな場所を、平たく言えばマシな場所を、飛行前に検討して決めてあっただろうし (やはり、海でしょうか..)、もしそうなったら、自分たちがどうなるのかも勘定に入れた上で (不時着地点から素早くはるか遠くまで非難しなくては、被ばく量が基準を超える事態も考えられた)、それを受け入れての飛行だったのではないか。

それほどのリスクをとってまで、あの時、誰かが飛ばねばならなかった。もちろん、ただ飛んで戻ってくればよいというものではなく、小さなターゲットへの放水という失敗できない極めて重要な任務があった。日本中の誰もが、もしかしたら世界中の多くの人も、おそらく祈るように、人によっては本当に祈っていたかもしれませんが、多くの人が注目したミッションでした。

山火事の消火時と比べてどうなのかよくわかりませんが、通常の地上にはないほど高熱な場所のすぐ上を飛ぶわけですから、不安定な上昇気流や気流の乱れもあったはずですし、予想もしていたでしょう。熱い空気が立ち上る場所では、周囲よりも空気密度が低いわけですから、エンジンやローター (ヘリの上についている大きなプロペラのようなもの) にも影響が出れば、それは揚力の低下という形になったかもしれません。自衛隊のヘリ パイロット レベルの方にとっては、その程度の事も計算済み、かつ、高い技術をお持ちなのでしょうけれど。危険な状況にある原子炉の上を飛ぶという事は、一体どういう感じなのか...

「任務を遂行しただけです」あたりが模範回答だろうか..。士気、使命感、職業意識?? 勇気?? いろいろな言いようもあろうが、実際に、それがどういう精神状態でなされたものなのかは、結局は飛んだ本人達にしかわからないし、仮に本当の事が正確に語られることがあったとしても、世間にそのまま伝えられることもないかもしれない。人として何かを賭して安全を、人を、福島を東北を国を、地球環境さえも守る事を使命として飛び、成し遂げた。その強靭な精神状態は (と表現してもよいだろうか。安易すぎる表現ではないだろうか)、いったいどこからやってくるのか。その飛行を何度もテレビで目にして、涙を禁じえませんでした。

自分にできることをやろう。地震直後から、多くの人がそう考えて動いたと思います。僕もその一人。飛行訓練は中断し、自分の持ち場である「職場」で、業務に専念する努力をしていました。最初の一週間は、専念することも難しかったけれど、二週間目にはずいぶん正常に業務を行っていました。まだまだ精神がハイだったと今になって思うけども。

そういう事もあって、最後のフライトから時間が経ってしまいました。震災そのものから受けたショックもありましたが、仙台の飛行場は自分にも無関係とは言えず、自分が訓練で使った事のある飛行場がああいう惨状になったこと... 自分が飛んだ美しかった街があんな事になってしまったのは、本当にショックでした。あれから、今でも、知った人全ての消息が確認できたわけではありませんが、多くの方の無事を確認できました。最初は、あの飛行場が波に覆われていく映像を見ながら「もう飛ばないかもしれない、飛べないかもしれない」そう考えて、数週間を過ごしました。しかし、あの状況で飛行し、大きな貢献を果たしたパイロットたちの存在は (自衛隊と米軍の、救助、救援のために飛んだパイロットもですが)、普段は地上に生き、アマチュア パイロットの末席を汚す自分 (しかもまだ訓練中) にも、大きな影響を与えていたと、今になって感じています。アマチュアでも、ヘリのような活躍ぶりではなくても、いつか誰かのために飛べるかもしれない。つたない技術であっても、いずれ腕を磨き、誰かの役に立てるかもしれない。そういう小さな思いを胸に、決意を新たに、いよいよ訓練再開を決断しました。地上での準備も再開し、近く、また空へ上がる予定です。
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